辰巳芳子さんが出演するTV番組を観ていると、いつもさまざまな言葉が記憶に残りますが、今回、若い料理人たちへの言葉が印象に残りました。
「料理人は(物=素材?が私たちを引っ張っていってくれるから) “我”が落ちるはずなのよ。」
これは先週の加藤知子さんのコンサートで感じた「ヴァイオリンが演奏者を引っ張っていっているようだ」と感じたことと同じことだと思いました。
創作は自分をよく見せようという気持ちが先行してしまうと、自分の表現を(自分がそのとき感じたものから生じた何かではなく)どこかで観た
何かの表面を真似たものや、かつて上手くいった自分の方法になり易く、描きだそうとする本来の対象をあまり観て感じとっていないだけでなく、
埋めきれなかった隙間に過剰な装飾をまぶしたりしてゴテゴテとしたものになりがちです。
魚料理の例えであれば、魚の種類(素材)が何であれ、下ごしらえや加熱法、味付けをどれも同じような料理にしてしまうようなものでしょう。
他方、素材の魅力は何かをよく感じとるようにして、その魅力が最大限に生きるようにするにはどうしたらいいか、と考えながら創作していると、
料理人であれ、演奏家であれ、画家であれ、その素材が命じるところに従って奉仕する存在に近づいていく、と私も時々感じるようになってきています。
私はまだまだ我が強くて、とても奉仕する人にはなれそうにもないですが、ヴァイオリニストの加藤知子さんと料理家の辰巳芳子さんに共通の意識が
感じられたことを必然と思えますので、現在の私が一歩ずつでも近づいていきたいと思う方向性であることは確かです。